2008 AD & A gallery

2008 AD&A galleryの展示風景 | 林真衣

見えるもの見えないものをテーマに、日常の中にある何気ない物や風景をモチーフに制作しています。

例えば、水たまり。沢山のイメージを映し出し存在している、虚像であり実像でもある光景。空 コンクリート 家 落ち葉 鳥 ビル 樹木 etc…
別々の世界のモノが、一つの光景として立ち現れる場所。消えると同時に現れるモノ達に、生と死が別々のものではないと教えられる。色彩の重なり、絵の具の量や質の違いによって生まれるイリュージョンにより、人がモノをどのように見て感じ、選び取るのか。物理的に流れる時間と自身の感じている 時間や距離の差異を認めながら、絵画を通して見えないものに触れてみたい。自身の無数の他者と共に。

2008.02.22〜02.27 AD & A gallery 「東野 真衣展」コメント文より

line_long

2008 Oギャラリーeyes

2008 Oギャラリー eyesの展示風景 | 林真衣

私は、日常の何気にないものや光景をモチーフに制作しています。

日々、現れては消えていく無数のモノたちを前に「見る」ことのもどかしさを感じずには入られません。記憶の中で浮かび上がる光景と、目の前の光景との違和感。しかし、対象との曖昧な距離感は、逆にリアルに迫ってくる。境界を揺さぶられる感覚。そんな自己と世界との関わりの中で、絵画を通して見えないものを確かなものとして実感したい。

2008.07.14〜07.19 Oギャラリーeyes 「View/Introspection 5−Under Illumination」コメント文より

line_long

2010 木津川アート

2010 木津川アートの展示風景 | 林真衣

日常の中にある何気ない物や風景をモチーフに制作しています。

例えば、水たまり。沢山のイメージを映し出し存在している、虚像であり実像でもある光景。色彩の重なり、絵の具の量や質の違いによって生まれるイリュージョンにより、人がモノをどのように見て感じ、選び取るのか。
私の移り住んだ自然豊かなこの町でも、ここ数年でガラッと景色が変わったとよく耳にします。今見ているこの景色は、数年後にはどうなってしまうのか不安になります。物理的に流れる時間と自身の感じている時間や距離の差異を認めながら、絵画を通して見えないものに触れてみたい。

2010.11.11〜11.14 木津川アート2010 コメント文より

line_long

2011 木津川アート

2011 木津川アートの展示風景 | 林真衣

ミラーカーテンは、外からの紫外線をカットしながら、プライバシーを守ってくれるマジックミラーのようなレースのカーテンです。それはまるで、見えない何かに怯えながら生きなければならない現代人の心情を写し出しているかのようです。カーテン越しに、見える柄と一体化して揺れ動く風景は、カーテンを開けると一瞬のうちに全てが消えてしまいそうで、不安になります。今回は、長年空き家だったこの場所で、止まった時間がゆっくりと動きだすような空間を演出しました。

2011.11.03〜11.13 木津川アート2011 コメント文より

line_long

2013 Oギャラリーeyes

2013 Oギャラリー eyesの展示風景 | 林真衣

私は、4年ほど前に大阪から京都の田舎に引っ越しました。空は広く、自然が近くに感じられる、のどかで良い所です。しかし、そんな田舎もここ数年、景色がみるみる変化しています。またひとつ山が消える噂がきこえ、どこかで見たような家や店があっという間に建ち並んでいきます。まるで、どの町も若い世代を都会にとられまいと必死になっているようです。ただでさえ方向音痴の私は「一体どこにいるのか?」と思うことが増えました。

今回モチーフにしているのは、レースのカーテンから見た景色です。カーテンを通した風景は、室内と屋外の明るさによって様々な表情を見せます。どちらかが明るすぎるとレースの物質感が際立ち、何も見えなくなることがあります。双方がバランスよく交わったとき、カーテンと景色は溶け合うように揺れ動きます。私は、そこにひとつの共生のかたちを見出しました。現れては消えていくイメージ達は、あたかも変化していく周辺の風景のようにも見え、私はそれらを画面に再構築しようと試みています。
色彩の重なり、絵の具の質や量の違いにより生まれるイリュージョン、その中に存在と気配のうつろいを表現できればと思っています。

2013年2月11日~2月16日 Oギャラリーeyes 「林 真衣展」コメント文より

line_long

2014 Oギャラリーeyes

2014 Oギャラリー eyesの展示風景 | 林真衣

赤ちゃんの頃の怪我により、私は直射日光に弱い身体になりました。家では暗黙の了解で、いつもレースのカーテンが閉じられていました。それは、祖父母の住んでいた団地の部屋も同じでした。しかしここ数年、祖母は「外から見られるから・・」といってレースの上からカーテンを閉め切り、薄暗い中で過ごしていました。足腰が悪く、ほとんど家の中で生活していたので、私には異様な光景に見えました。団地とはいえ人通りが多くもない二階の一室で、いったい何に怯えているのか、ずっと気になっていました。
そんな祖父母が、昨年、相次いで老衰により亡くなりました。二人は、もうこの世に存在しないと頭では分っていても、受け入れるのに時間がかかりました。長年住んでいた部屋は、突然持ち主を失い、静かにカーテンだけが揺れていました。家賃を払い続けるわけにもいかず、半年かけて親族で遺品整理をしました。最後に、私の手で全ての部屋のカーテンを外したとき、もうここには帰って来られないという事実を突きつけられたような気がしました。

そんな日々を経て、私は再び絵を描き始めました。今思うと、揺れ動くカーテンに映る影や光、カーテンの向こう側に広がる景色や残像を拾い集め、画面上で再構築していくことで、身の上に起こった出来事を実感しようとしていたのかもしれません。
今回は、絵具と油をハンドミキサーで泡立ててキャンバスの上に流しこみ、乾燥しいていく際に出現する泡の痕跡をカーテンのテクスチャーとして取り入れました。泡は何処に出現するか分らないし、出現したからといって跡が残るとも限りません。また、絵具や油の量、気温などによっても仕上がりは異なります。生き物のようなそれらとの対話に、自然の摂理を感じています。

「何気ない日常」は、実は「何気なくないもの」によって支えられているということを教えられたように思います。棺に溢れんばかりの花を手向けて、二人を送り出したときのように、かつてあったあの部屋に感謝を込めて。

2014年9月15日~9月20日 Oギャラリーeyes 「林 真衣展」コメント文より

line_long

2015 Oギャラリーeyes

2015 Oギャラリー eyesの展示風景 | 林真衣

「カキーン!!はぁッ! ドン はぁッ! ドン!!」と、4才になる私の息子は憧れのヒーローの影響で、見えない敵とオモチャの武器で常に戦っています。その様子は、とても滑稽でつい笑ってしまうのですが、彼には何か見えているのかもしれません。
そんな彼の通う保育園では、今年から送り迎えに行く際、保護者は大きな名札を首からかけて行く決まりになりました。そんなことまでしないといけない時代に、初めは違和感がありましたが、習慣化していつの間にか当初の違和感を忘れかけている自分にハッとしました。テレビでは、「子供に『知らない人についていかないように!』ではなく、『知っている人にもついていかないように!』と言いましょう。『ママの友達だよ。』と嘘をつくかもしれないので」と、話していました。誰も信じるなと教えなければならない現実を前に、「守る」ということはどういうことか、もんもんと考えていると、ある日息子が「わるいヤツがきたら、ぼくがやっつけるからね!!」と言ってくれました。守っているつもりが、実は守られていたことに気づかされ、少し気持ちが軽くなりました。そして、一生、子供たちが本物の武器を持つ事がないようにと祈りました。

私は、日常の何気ない時間や空間をモチーフに制作しています。

近年は、絵の具と油をハンドミキサーで泡立ててキャンバスにかけ流し、乾燥させた画面の上から薄く絵具を重ねて行く技法を研究しています。泡の痕跡はどこに出現するかわからないし、全てが残るとも限りません。コントロールしきれない他者として、彼らと対話するように描いています。人がものを見るときに、何を選びとるのか。幾重にも重なるイメージから、忘れてしまいそうな記憶や感覚、見えないものに触れてみたいと考えています。

2015年11月02日~11月7日 Oギャラリーeyes 「林 真衣展」コメント文より

line_long

2016 Oギャラリーeyes

春に親戚と友人に会いに熊本に行きました。何かに突き動かされるように、急きょ私が提案した家族旅行でした。桜が満開の時期で、ライトアップされた熊本城はとても美しく貫禄があり、今でも目に焼き付いています。旅行から帰った数日後、熊本に大地震が起きました。テレビから流れてくる信じがたい映像を見ていると、別れ際の親戚と友人の笑顔が脳裏に浮かびました。のちに無事であったことが分かりましたが、熊本では多くの尊い命が犠牲になりました。震災は不条理にも何気ない日常を一瞬にして奪っていきます。私たちが「大切にすべきものは何なのか」を問われているかのようです。

本展の作品は、太陽が沈んでいく時間から、登ってくる時間にかけての光景をモチーフにしています。絵の具を幾重にも重ねたり、時には筆や布でぬぐったりしながら、存在を確かめるように描いています。表面の質感に、気泡を入れはじめて三年になりました。泡立てた絵の具を画面に流すことに慣れてきたからといって、泡をもう少しコントロールしようと欲張ると、自分が狙っていたイメージを超えてしまいます。それは自然と人間との距離感と少し似ているような感じがします。人間は自然を含めた色々なものを自分の所有物のようにコントロールしてきました。しかし、踏み込み過ぎてはいけない境界、一線があるように思います。そもそも、人間も自然の一部であり「自然」と「人間」を分ける時点で人間中心主義なのかもしれません。早朝、ほんの少しの間、自然光と人工光が共存する静かな時間があります。それらが交わりながら、揺れる光景は、私たちに一つの在り方を教えてくれているように感じました。

震災で亡くなられた方々のご冥福と、一日も早い復興を心よりお祈りします。

2016年10月24日~10月29日 Oギャラリーeyes 「林 真衣展」コメント文より

 

line_long

2017 Oギャラリーeyes

私は、日々の生活の中で見つけたちょっとした違和感や、何気ない空間をモチーフに描いています。そして、それらについて思いあぐねるとき、よく写真を撮り、プリントをして構想を練ります。写真を眺めながら、特に自分の意図とは関係なく写り込んでしまったイメージに強く惹きつけられることが多いです。

今回は、水族館の水槽をモチーフに制作しました。キラキラと輝く水槽や魚たちの姿に魅せられながらも、綺麗すぎるくらいに作られた人工的な造作物に違和感を持ちました。また、毎日のように磨かれる水槽には、沢山のイメージが映り込みます。しかし人間の目は、見たいように水槽の生き物だけを見ることが多く、写真のそれとは別のものとなります。

それらのイメージは、もしかすると目にしていたのに、意識されなかったかもしれないものです。人工的なものとそうでないものが交差し、どこからが作り物で、どこからがそうでないのか、わからなくなってきます。

前シリーズ同様、絵の具による泡の痕跡をベースに、画面上で薄く絵の具を重ねたり、拭ったりしながら描いています。テクスチャーは、泡や魚の鱗、砂や目となって出現と消失を繰り返します。溢れ落ちたものたちに光をあてて、存在するとは何かを問いかけてみたいと考えています。

2017年10月16日~10月21日 Oギャラリーeyes 「林 真衣展」コメント文より